能
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能(のう)は、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見た、日本の舞台芸術の一種であり、重要無形文化財でありユネスコ無形文化遺産である「能楽」の一分野であり、江戸時代以前には猿楽の能と呼ばれていたものである。
能とは元々能芸・芸能の意をもつ語であって、猿楽以外にもこれが用いられていたが、猿楽が盛んになるとともにほとんど猿楽の能の略称となり、明治維新後禄を失ったことにより他の多くの芸能は絶え、猿楽を能楽と呼称することが一般的となった[1]。
その起源は議論の分かれるところであり正確な事はわかっていない。現在の能は中国伝来の舞、日本古来の田楽、延年などといった様々な芸能や行事の影響を受けて成立したものであると考えられている。現在は日本における代表的な伝統芸能として遇され、歌舞伎に並んで国際的に高い知名度を誇る。
歴史については能の歴史を参照
目次 |
概要
能は、俳優(「シテ」)の歌舞を中心に、伴奏である地謡(じうたい)や囃子(はやし)などを伴って構成された音楽劇・仮面劇である。舞と謡を担当し、実際に演技を行うのがシテ方、ワキ方および狂言方であり、伴奏音楽を担当するのが囃子方(笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方)である。
能は、シテ方が中心となって行われるため、ワキ方、囃子方、狂言方を総称して「三役」と呼ぶ。
現在能と夢幻能
能をシテの役柄によって分類することは下記の上演形式の項目で述べるが、構成方法により「現在能」と「夢幻能」に二分することも多い。
現在能とは、現在進行しているように演じられるドラマのような能(劇能)である。例えば「安宅」は、歌舞伎の勧進帳の元になった曲であるが、シテ弁慶を中心に義経主従が奥州へ落ち延びようとしているところに、ワキ富樫(関守)がそれを疑い、弁慶の機転によって難関を脱出する様子を、時間の経過とともにストーリーが展開されていく。
これに対して夢幻能は「死者」が中心となった能である。八世観世銕之丞は夢幻能の大きな特徴として「死者の世界からものを見る」という根本的な構造を指摘している。すなわち、多くの場合、亡霊や神仙、鬼といった超自然的な存在が主役(シテ)であり、常に生身の人間である脇役(ワキ)が彼らの話を聞き出すという構造を持っているのである。これについて銕之丞は、観阿弥・世阿弥・金春禅竹らによって猿楽が集大成された室町期は戦乱の時代であり、死が人々にとって極めて身近なものであったことを、こうした構造の理由に挙げている。[2]
梅若猶彦もこのような死者による語りの構造を重視し、能はこのような構造を持つことで、能独自の美の世界の構築を可能としていると指摘している。梅若はその例として、「実盛」のシテである斉藤実盛の亡霊がワキの夢の中に登場し、己の死に様を語りながら、己の生首を洗うという場面を挙げている。この場面ではシテ演じる実盛の亡霊には首が付いているのであるが、同時に実盛の亡霊は切り落とされた自分の生首を手に持っているのである。このような不条理な演出が可能となっている理由として梅若は、能が一般に「ワキの夢の中でシテが夢を見ている」という難解な構造を持っていることを指摘し、「死者による語り」という夢幻能の基本構造が、こうした他に例を見ない物語世界の構築を実現していると論じている。[3]
即興芸術としての能
また玄人による能は、入念なリハーサルを行わない上に一度きりの公演であるという点も独特である。通常の演劇では事前にリハーサルを重ね、場合によってはゲネプロという形で全て本番と同じ舞台・衣装を用いるが、能では事前に出演者が勢揃いする「申し合わせ」は原則一回であり、しかも面や装束は使用しない。これについて前出の八世観世銕之丞は、能は本来、全て即興で演じられるものであり、出演者同士がお互いのことを解りすぎていることは、能においてはデメリットになると論じている。[4]
幽玄と妙
能が表現する美的性質として広く知られた概念に「幽玄」がある。能を大成した世阿弥の著述においても「幽玄」が意味するところは必ずしも一定していないが、例えば『花鏡』においては、同時代(室町初期)の公家の挙措やたたずまいのように「ただ美しく柔和なる体」を「幽玄」としている。ただし、梅若猶彦は世阿弥の能論における最も重要な美的概念が「幽玄」ではなく「妙」であることを指摘しており[5]、「幽玄」が能の美的側面における支配原理というわけではない。
「妙」については世阿弥もその出現の原理や内容を完全に説明しきれておらず、「形無き姿」「無心」といった比喩によって説明を試み、またこの美的性質は子方の演技においても稀に感得されることがあると指摘している。梅若は「妙」と「幽玄」を比較し、「妙」はそれが現れた時には演技者と観客のいずれにも作用するものであるのに対し、「幽玄」はあくまでも演技者が観客に対して意図的に表現しようとする美的性質に留まると論じている。[6]
能の技法
所作(型と舞)
能は型(演技等の様式、パターン)によって構成されている。所作、謡、囃子、全てに多様な型がある。しかしここでいう型は、いわゆる舞や所作の構成要素としての型である。これらの型の成立の経緯についてははっきりしないが、梅若猶彦は型の出現を江戸期、型が安定的に継承されるようになったのは昭和期ではないかと推測している。型が出現した理由として梅若は、身体動作に名前を付けることで学習が効率的になるということを挙げている。また梅若は、現代の能においてはこれらの型が必要以上に重視され、一種の信仰の対象のようになっていることの弊害も指摘し、世阿弥の著述からは型への信仰は窺えないこと、重要なのは役者が自分の内面と身体の関係を自由にコントロールできる能力を身に付けることであり、型の学習のみではそれは不可能なことを指摘している。[7]
型の基本は摺り足であるが、足裏を舞台面につけて踵をあげることなくすべるように歩む独特の運歩法で(特にこれをハコビと称する)、これを円滑に行うためには膝を曲げ腰を入れて重心を落とした体勢をとる必要がある。すなわちこれが「構え」である。また能は、歌舞伎やそこから発生した日本舞踏が横長の舞台において正面の客に向って舞踏を見せることを前提とするのに対して、正方形の舞台の上で三方からの観客を意識しながら、円を描くようにして動く点にも特徴がある。能舞台は音がよく反響するように作られており、演者が足で舞台を踏む(足拍子)ことも重要な表現要素である。
以下に能の型の例を示す。
- シカケ(サシコミ)
- すっと立ち、扇を持った右手をやや高く正面にだす。
- ヒラキ
- 左足、右足、左足と三足(さんぞく)後退しながら、両腕を横に広げる。シカケとヒラキを連続させる型をシカケヒラキ(サシコミヒラキ)と呼ぶ。
- 左右(さゆう)
- 左手を掲げて左に一足ないし数足出た後、右手を掲げて右に一足ないし数足出る型。
- サシ
- 右手の扇を横から上げて正面高くに掲げる型。
- シオリ
- 目の前に手を差し出す。泣くことを示す。
- 拍子(ひょうし)
- いずれかの足を上げ、舞台を踏む。
- 留メ拍子(とめびょうし)
- 一曲の終わりにはっきりと2回踏む。シテが踏むこともワキが踏むこともある。
これら種々の型の連続によって表現される能の所作のまとまりを舞と呼んでいいだろう。柳田国男の論を受けた渡辺保によれば、「踊り」が飛躍や跳躍を含む語であるのに対し、「舞」は「まわる」つまり円運動を意味する語である。能の舞の特徴は、極端な摺り足と独特の身体の構え、そして円運動である。
能の舞はきわめて静的であるという印象が一般的だが、序破急と呼ばれる緩急があり、ゆっくりと動き出して、徐々にテンポを早くし、ぴたっと止まるように演じられる。稀に激しい曲ではアクロバテックな演技(飛び返りや仏倒れなど)もある。しかし止まっている場合でもじっと休んでいるわけでなく、いろいろな力がつりあったために静止しているだけにすぎず、身体に極度の緊張を強いることで、内面から湧き上がる迫力や気合を表出させようとする特色も持っている。
能では一曲のクライマックスでの表現として、謡が中心となった「クセ」などでの舞や、囃子のみで舞われる「舞事」が演じられる。「舞事」は以下のように分類される[8]。
それぞれ太鼓の入った「太鼓物」や、太鼓の無い「大小物」がある。(後述の囃子の項目も参照)
- 呂中干(りょちゅうかん)の舞
- 定型の譜(呂中干の譜)を繰り返しながら、途中で段落や変化をつけた曲で、いろいろな役柄が舞う。中テンポの「中之舞」や、ゆっくりとした「序之舞」、急テンポの「急之舞」などがある。
- 楽(がく)
- 中国を舞台とした曲で神仙役の者が舞う。楽人役のシテが舞うこともある(「鶴亀」「天鼓」など)。
- 神楽(かぐら)
- 脇能(シテが神仏の役を演じる曲)で舞われる。神がかりした女性役の舞。太鼓物。
舞ほど長くないが舞台を一巡する所作でシテの品位や勢威、内面心理を表現する囃子事もあり総称して「働事」と呼ばれている。
- 舞働(まいはたらき)
- 竜神などが勢威を示すための曲。太鼓物。
- 翔(かけり)
- 武人(修羅)や狂女が演じる曲。大小物。
謡
詳細は「謡曲」を参照
能において謡をうたうのは大別するとシテ、ワキ、ツレなど劇中の登場人物と、「地謡(じうたい)」と呼ばれる8名(が標準だが、2名以上10名程度まで)のバックコーラスの人々である。劇中の登場人物の謡はそのまま登場人物の科白となる。一方、地謡は登場人物の心理描写や情景描写を担当しているが、場合によってはシテの感情を代弁してうたうこともあり、シテやワキと地謡が掛け合いをするケースもある。
地謡は地謡座で前後二列になり、舞台を向いて座る。(翁のときだけは囃子方の後方に座ることになっている。)各々扇を持っており、謡う際にはそれを構え、休みの際には下ろす。地謡は地頭(じがしら)と呼ばれる存在がコンサートマスターのような役割を果たしており、以前は一番左前に座していたが、全体を統率するために後列中央に位置するようになった。また地謡は意図的に個々の者が声の高さを変えてうたうヘテロフォニーを用いている。
新作能を除くと謡に用いられている言葉は室町期の日本語である。謡は節回しのある部分(フシ)と節回しのない部分(コトバ)とに分けることができる。節のある部分には拍子合と拍子不合がある。コトバは通常の科白、対話に相当し、候文体で語られ、役を演じる者(シテ、ワキ、ツレ)だけが発声する。ただし注意を要するのは、たとえコトバであっても、現代人の感覚からすればかなり大げさな抑揚がついており、しかもその抑揚が型として固定している点である。能におけるすべての言語表現には、いかにこれを発話・歌唱すべきかという楽譜(謡本)があらかじめ用意されているが、細かい点は師伝により習得される。地謡はかならず節のある謡をうたう。また役を演じる者同士の対話であっても、ある点までコトバのやりとりであったものが、片方の感情の高潮によって途中から節のついた謡へと切替わることが少なくない。
謡とは、八世観世銕之亟によれば「七五調を基本にした長い詩」である[9]。七五調で書かれた12文字を一行として、八拍子でうたわれる。ただし八拍子から外れたリズムで謡われる部分もある。「拍子合」(ひょうしあい)では、拍子に当たる文字と拍子に当たらない拍子の間の文字が交互にくるために、八拍子には16文字が入るわけであるが、標準的な七五調で2拍3文字で謡うのを平ノリ(ひらのり)、1拍2文字で謡うのを中ノリ(修羅ノリ)、1拍1文字で謡うのを大ノリと呼ぶ。八拍子から外れているリズムの謡は「拍子不合」(ひょうしあわず)と呼ばれる[10]。拍子不合の謡では、節回しを大きくたっぷり謡い、節の無いところはすらすら謡う。また拍子不合であっても、謡と囃子は全く無関係ではなく、おおよその寸法や位、雰囲気などにおいて絶妙な関係を保っている。
能の発声法は、もちろん演者により様々な個性があるが、分厚い声を出すことや子音を長く謡おうとするところに特徴がある。「上の声と下の声を同時に出す」といわれ、音階は上の声で表現するが、下の声で声の厚みや迫力、安定感を表現する。謡は場面によって「弱吟」(よわぎん)と「強吟」(つよぎん)の2種類に分かれている。同じく八世観世銕之亟によると、「弱吟」は細かい音階をもつメロディアスな表現、「強吟」は音の迫力を強調した表現とされる。「弱吟」と言っても弱く謡うわけでない。室町時代の能は弱吟のみで演奏されていたが、江戸時代になって音階が簡素化され、強吟の謡い方が考え出された。
囃子
能の囃子(能楽囃子)に用いられる楽器は、笛(能管)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ、おおかわ、大皮とも称する)、太鼓(たいこ、締太鼓)の4種である。これを「四拍子」(しびょうし)という。雛祭りで飾られる五人囃子は、雅楽の場合もあるが、能の場合の5人は、能舞台を見るときと同じで、左から「太鼓」「大鼓」「小鼓」「笛」「謡(扇を持っている)」である。小鼓、大鼓、太鼓はこれを演奏する場合には掛け声をかけながら打つ。掛け声もまた重要な音楽的要素であり品位や気合の表現で、流派によってもいろいろであるが、「ヤ声」(ヨーと聞こえる)は主に第1拍と第5拍を示すために使われ、それ以外の拍は「ハ声」(ホーと聞こえる)を用いる。「イヤ」は段落を取るときと掛け声を強調するときに奇数拍で使われ、「ヨイ」は段落を取る直前の合図と掛け声を強調するときに主として第3拍で使われる。
一曲のうちには、「謡のみによって構成される場面」「謡と囃子がともに奏される場面」「囃子のみが奏される場面(登場人物が出てくるときの登場楽や、上記の「舞」や「働」である)」の3つが複雑に入り組んでいる。概していえば囃子が謡とともに奏される場合には謡の伴奏的な役割をはたす。また現在では能が始まる合図として、橋がかりの奥にある「鏡の間」で囃子方が音出しを行う「お調べ」が用いられている。
- 笛(能管)
- 能管は、竹製の横笛で、歌口(息を吹きこむ穴)と指穴(7つ)を持ち、表面を桜樺・漆で覆っている。同じ指押さえで吹き方を変える事により、低めの「呂の音」と、高めの「甲(かん)の音」を出す事が出来る。歌口と指穴の間の管の内にノドと呼ばれる細竹を嵌めこんであり、これによって龍笛・篠笛など他の横笛とは異色の、能楽独特の高音(「ヒシギ」)を容易に発することができる。またこのノドの存在により、能管は安定した調律を持たない。これもまた能管の大きな特徴となっている。
- 能管は「四拍子」のなかでは唯一の旋律楽器であるが、基本としては打楽器的な奏法を主としている。つまり拍子にあったところでアクセントをつける吹き方をする。囃子のみによる舞(序之舞、中之舞など)の演奏の場合には拍子にあった旋律を吹くが、謡にあわせるときや登場楽の多くには拍子に合わないメロディーを吹く。これを謡につきあうという意味で「アシライ」という。
- 小鼓(こつづみ)
- 小鼓は、桜製の砂時計型の胴に、表裏2枚の革(馬革を鉄製の輪に張ってある)を置き、麻紐(「調緒(しらべお)」という)で締めあげた楽器である。左手で調緒を持ち、右肩にかついで右手で打ち、調緒のしぼり方、革を打つ位置、打ち方の強弱によって音階を出すことが出来るが、能では4種類の音(チ、タ、プ、ポ、という名前がつけられている)を打ちわける。演奏にはつねに適度な湿気が必要で、革に息をかけたり、裏革に張ってある調子紙(和紙の小片)を唾でぬらしたりして調節する。
- 大鼓(おおつづみ)
- 大鼓は、小鼓と区別するために大皮(おおかわ)とも呼ばれるが、材質、構造はほぼ小鼓に等しく、全体的にひとまわり大きい。左手で持って左膝に置き、右手を横に差し出して強く打ちこむ。小鼓と違い左手で調緒の調節をしないために、音色の種類は、右手の打ち方によって分けている。右腕を大きく上げて強く打つ音(チョン)、弱く打つ音(ツ)、抑える打ち方(ドン)。型ぶりに反して全体に小鼓より高く澄んだ音を出す[11]。
- 湿気を極度に嫌うので、革は演奏の前に炭火にかざして乾燥させる必要がある。太く長い調緒を使って張りつめた皮を素手で打つのは大変痛い(元来は素手で打つべきとの主張もある)ので、中指や薬指に「指皮」をはめ、掌(てのひら)に「当て皮」をつける。[12]本来大鼓は小鼓の連調から発展してきた楽器であるといわれ、初期には鼓方の若手が大鼓にまわって小鼓の伴奏をしたのではないかと考えられている[要出典]。そのため、大鼓の流儀は小鼓のそれから派生したもので、同流の小鼓が打ちやすいように手(譜)が考慮されている。
- 太鼓
- 太鼓は、いわゆる締太鼓のことで、構造は基本的に鼓とかわらない。革は牛革で、撥の当たる部分に補強用の鹿革を貼ることが多い。撥は2本で、太鼓を台に載せて床に置き(この台を左吉台という)、正座した体の前で打つ。音は響かせない小さな音(押さえる撥・ツクツク)と響かせる大きな音(小の撥、中の撥、大の撥、肩の撥・テンテン)の2種で、四拍子のリズムを主導する役割を担う。
- 太鼓が入るのは基本的に死者の霊や鬼畜の登場する怪異的な内容の曲のみで、そのほかの場合には笛と大小の鼓のみで演じる(この場合には大鼓がリズムの主導役を担う)。前者を「太鼓物(太鼓入りもの、四拍子もの)」、後者を「大小物」と呼んで区別する。
- 以上のほかに、舞台上でシテが鉦鼓(しょうこ)を鳴らす場合もある(『隅田川』『三井寺』)。多くは鐘の音や念仏の鉦鼓の音を表現するためだが、この場合もやみくもに打つのではなく、決まった譜がある。また新作能においては、これら囃子方以外の音楽家が背景音楽の演奏に加わることもある(「伽羅沙」でのキリスト教の賛美歌やパイプオルガンなど)[13]
能面
装束
今日では装束(しょうぞく)も様式化され、使用法が厳格に定められている。例えば色においても、白は高貴なもの、紅は若い女性を示す。また中世や近世から能楽師の家に伝わる装束も多い。なお、装束が現在のように豪華なものとなったのは江戸期である。その背景には、江戸期における織物技術の発達、将軍家をはじめとする為政者の潤沢な資金の流入がある。[14]
作リ物、小道具
舞台に乗せる道具類で、予め作って保管しておくものを「小道具」、演能の度に作る物を「作リ物」と呼ぶ。作リ物は比較的大きな物が多く、舟、車、塚、屋台等を表す。作リ物は極端なまでに簡略化され、例えば「舟」は竹ヒゴ製模型飛行機の主翼を大きくしたようなものに過ぎないが、能にはこれで十分である。大きな作リ物としては、『道成寺』の鐘がある。これは中でシテが装束を替えられるだけの大きさがある。これら作リ物類を製作するのも、現在ではシテ方である。
職掌
シテ方
能の主人公は「シテ(為手、仕手)」と呼ばれる。多くの場合、シテが演じるのは神や亡霊、天狗、鬼など超自然的な存在であるが、生身の人間を演じることも無いわけではない(「安宅」における弁慶など)。シテが超自然的な存在を演じる曲を夢幻能、シテが現実の人間を演じる曲を現在能と呼ぶ。
シテを演じる為の訓練を専門的に積んでいる能楽師をシテ方と呼ぶ。シテ方が演じるのはシテの他、ツレ、トモである。また、一般に子方[15]はシテ方としての訓練を受けている最中の子供が演じる[16]。これら能の登場人物の他、地謡と後見[17]もシテ方の担当である。
シテにかかわりのある登場人物のうち、主だったものをツレ、物語の筋に深く関係を持たない端役的なものをトモ、トモのうち単に大人数を舞台に出すことを目的として登場する役を立衆(たちしゅう)と呼ぶ。このうちツレには『蝉丸(せみまる)』『大原御幸(おはらごこう)』のように、ごくまれにシテとほぼ同格と言える重要な役割を持つものがあり、このような能を「両ジテもの」と称する。ツレ以下が存在しない能もある。
ワキ方
シテとともに能に不可欠な登場人物がワキである。ワキを演じる為の訓練を専門的に積んでいる能楽師をワキ方と呼ぶ。ワキはシテの思いを聞き出す役割を担う。その為、ワキは僧侶役であることが非常に多い。また、その役割は上記のとおり一方的にシテの言うところを受けとめるものなので、舞台上で華々しい活躍を見せることはめったにない。その役柄故、舞台上では座っていることが殆どなので、「ワキ僧は煙草盆でもほしげなり」という川柳も詠まれている。なお、ワキにつくツレを「ワキヅレ」という。多くの場合シテにおけるトモに近いものである。
ワキおよびワキヅレはワキ方が演ずる。ワキ方はシテ方との対比上、硬質で剛直な芸風を求められるとするのが一般的な説である。
ワキは本来「脇のシテ」の略であり、古くはシテ方ワキ方の別はなかったとされる[要出典]。一座の第二位の役者、もしくは第一位の役者(「太夫」と言う)の後見役にある役者がワキである[要出典]。中世期、ワキが地謡の統率者(地頭)を兼ねており、その影響で、江戸時代に入ってシテ方とワキ方が分離した時期においても地謡はワキ方が担当することが多かった[要出典]。時代が下るにつれてシテ方と交替し、あるいは過渡期的に「地謡方」という専門の役職ができたりして変遷をたどりながら現在のかたちに落ちついたとされ、現在のシテ方にももと地謡方、あるいはワキ方の家であったものは多く存在する[要出典]。
狂言方
狂言方が能の劇中に登場することも多い。狂言方が担当する役を「アイ」もしくは「間狂言(あいきょうげん)」と呼ぶ。多くの場合、こうした能は前場と後場に分かれており、前後でシテが装束を変えるために、その場をつなぐ目的で狂言方の役者が能の物語にまつわる古伝承や来歴を語るものである。アイには一人で行うものと、多人数で行うものがある。また単純に物語をするだけのものと、ワキ方やシテ方に絡んで物語の筋を構成するものとがあり、前者を語アイ(坐って語るものを「居語アイ」、立って語るものを「立語アイ」と呼ぶ)、後者を「会釈アイ(あしらいアイ)」と称する。まれに間狂言のない能も存在する。
囃子方
上手より笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(大革)(おおつづみ、おおかわ)、太鼓(たいこ)と並ぶ。小鼓方と大鼓方は床几(しょうぎ)を用いる。太鼓は獅子や鬼など超自然的威力のあるシテが現れる際に用いられる。太鼓なしの囃子を三拍子、太鼓を含むと四拍子と呼ぶ。笛は旋律を奏でるというより、情景を象徴したり打楽器的に用いられたりする。囃子方の発する掛け声も能の重要な要素である。
流派
詳細は「観世流」、「宝生流」、「金剛流」、「金春流」、「喜多流」、「下掛宝生流」をそれぞれ参照
能の流派は大和四座の系統の流派と、それ以外の日本各地の土着の能に分けられる。大和四座とは観世座、宝生座、金春座、金剛座であるが、更に江戸期に金剛座から分かれた喜多流の五つを併せて四座一流と呼ぶ。喜多流は金剛流より出、金春流の影響を受けつつ江戸期に生れた新興の一派であって、明治期にいたってほかの四流と同格とされた。喜多流は創流以来座付制度を取らず喜多座と呼ばれることはなかったので、五座ではなく四座一流となる。四座のうち奈良から京都に進出した観世、宝生を上掛り(かみがかり)と呼び、引き続き奈良を根拠地とした金春、金剛を下掛り(しもがかり)と呼ぶ。喜多は下掛りに含む。
大和四座は豊臣秀吉が政策的に他の猿楽の座(丹波猿楽三座など)を吸収させた為、江戸時代に入る頃には事実上、日本の猿楽[18]の大半を傘下におさめていた。現在、四座一流の系統の能楽師たちは社団法人能楽協会を組織しており、能楽協会に加盟している者が玄人の能楽師と位置づけられている。
一方、大和四座に統合されなかった能が残存している地域もあり、四座一流では演じられない曲目や、その地域独特の舞いを見ることが出来る。有名なものとしては、山形県の春日神社に伝わる黒川能、黒川能から分かれた新潟県の大須戸能などがある。
なお、能楽協会所属の能楽師によって上演される能においては、能全体の流儀はシテ方の流儀によって示される。また能に限り、家元を宗家(そうけ)と称する。これは江戸期に観世家に限り分家(現在の観世銕之亟家)を立て、これをほかの家元並みに扱うという特例が認められたことに基づくものである。分家に対し、本家が「宗家」と称したのがやがて「家元」の意味で用いられるようになったものである。現在では、同姓の分家との関係で用いられないかぎり、ほぼ「家元」の言いかえである。
座付制度
江戸時代以前、猿楽の役者たちはいずれかの座に所属して活動していた為、現在のようにシテ方が自由に三役を好きな流派から選んで演能をすることは無かった。以下に江戸時代における各座の構成を示す。
- 観世流(観世座)
- 宝生流(宝生座)
- 金剛流(金剛座)
- 金春流(金春座)
- 喜多流に座付はない
現存する流派
(カッコ内は2005年の能楽協会名簿における所属の能楽師の数)
- シテ方(詳細は各記事を参照のこと)
- ワキ方
- 笛方
- 小鼓方
- 大鼓方
- 太鼓方
- 狂言方
書物
世阿弥の著作
1400年、世阿弥は『風姿花伝』(一名花伝書)を著した。この書の第一章にあたる「年来稽古条々」は「初心わするべからず」や「時分の花」などよく知られた内容があり、その理論は現代で通用するものと評価されている。内容には、観阿弥の考えも含まれているとされる。その後世阿弥は、『花鏡』、『拾玉得花』、『申楽談儀』(口述)など研鑽に基づく理論を伝書として残している。現在二十一種が伝書として知られている。
型附
古くから続く家には、秘伝を記した書物が伝承されていることがある。これを「型附」(かたづけ)と呼ぶ。
戯曲
上演形式
江戸時代には、『翁』+五本の能を上演するのが正式であった。これを翁付き五番立と呼ぶ。どの曲をどのような順序で上演するのかも、序破急の概念を用いて決められていた。
具体的には、能の曲を五種類に分け、
- 初番目(神) 神がシテとなる。脇能とも。序。
- 二番目(男) 武人がシテとなる。修羅物(しゅらもの)とも。ほとんどが負け戦(負修羅)である。破の序。
- 三番目(女) 美人がシテとなる。鬘物(かずらもの)とも。破の破。
- 四番目(狂) 狂女がシテとなる。狂女物とも。実際には様々なものがここに入る(雑能)。破の急。
- 五番目(鬼) 鬼、天狗といった荒々しく威力のあるものがシテとなる。切能(きりのう)とも。急。
の順で演じた。これらの能の間には狂言が挟まれるため、全体では大変な長時間を要した。
現在ではこれだけ長時間の演能は難しく、能二番の間に狂言一番程度をはさむ形態の公演が多い。それでも五番立の順序は重視されている。例えば五番目物『石橋』の後に三番目物『井筒』を上演するようなことは稀である。
五番立で演能する際、五番目がめでたい曲(祝言能)ではなく暗い内容の能である場合は、『高砂(たかさご)』等、神能ものの後場のみを演じ(後半部分のみ演ずることを半能という)、めでたい気分で納めるのが建て前であった。さらに略して最後の一章のみを素謡で謡ってすますこともあった。「付祝言(つけしゅうげん)」と称するこの習慣は、演能時間が短くなった今日でも見られる。
番組
能の番組面の例を右図にしめす。シテの演者名は演目の右肩に書かれ、ワキの演者名は演目の真下に書かれるのが慣例である。なお「小書(こがき)」とは特殊演出を指す。
能の略式演奏
- 仕舞(しまい)
- 舞手と地謡数名と曲中のハイライトとなる舞を上演すること。舞手は能装束ではなく紋付き袴を着る。また面はかけない。
「クセ」とは能一曲のなかで地謡が中心になった部分、「キリ」は能の終わりの部分の名称である。
- 舞囃子(まいばやし)
- 仕舞に囃子方が加わったもの。仕舞より長い部分を演ずることが多く、舞事や働事(上記参照)を含むことが多い。
- 半能(はんのう)
- 長大な曲の前場を短く省略して上演すること。詳細は半能参照。
- 素謡(すうたい)
- 地謡(および役謡)で一曲を上演すること。囃子方は伴わない。間狂言も省かれるのが普通。
- 連吟(れんぎん)
- 素謡の形式で、曲のハイライトのみを謡う。
- 連調(れんちょう)
- 謡(一名もしくは数名)と1種類の打楽器が数名で、能の一部分を演奏する形式。
- 一調(いっちょう)
- 謡一名と1種類の打楽器が一名で、能の一部分を演奏する形式。一調用の替えの手を打つこともある。
- 一管(いっかん)
- 笛一名による演奏。普段の能では吹かない曲を演奏する場合もある。
- 一調一管(いっちょういっかん)
- 笛一名と1種類の打楽器が一名による演奏。一調用の替えの手を打つこともある。
- 素囃子(すばやし)
- 囃子方による演奏のみで上演すること。
- 番囃子(ばんばやし)
- 地謡と囃子方で一曲を上演すること。能の音声部分の上演。
- 居囃子(いばやし)
- 地謡と囃子方で曲のハイライトを上演すること。舞囃子からシテの舞を取った形式。
主な曲目
本節では中世に成立した古典の曲目のうち、現在でも頻繁に上演されているものを紹介する。これらは現行曲と呼ばれ、流派によって異なるが、おおむね二百数十番が現行曲とされている。しかし歴史的にはこれらの他にも2000番から3000番程度の曲が作成されている。これら廃曲となった曲の中には、現代になって再演を試みられる(復曲)こともある。また近代や現代においても新しい曲が書かれることがある。これらは新作能と呼ばれる。[20]
- 三番目物
- 本髭物(井筒、源氏供養、 松風など)
- 老女物(檜垣、姨捨[21])
- 美男物(小塩、雲林院)
- 精天仙物(杜若、 胡蝶、初雪など)
- 老精物(西行桜、遊行桜、花軍)
- 現在鬘物(祇王、籠祇王、 熊野[22]、大原御幸(おはらごこう)など)
- 現在老女物(関寺小町、鸚鵡小町、卒塔婆小町)
- 四番目物
- 巫女・女神物(巻絹、 鱗形、室君、現在七面など)
- 執心女物(梅枝、 砧、水無瀬など)
- 執心男物(恋松原、恋重荷、 阿漕、善知烏、藤戸など)
- 狂女物(三井寺、 隅田川など)
- 男物狂物(高野物狂、芦刈、弱法師など)
- 芸尽物(花月、 自然居士など)
- 唐物(鶴亀、邯鄲(かんたん)、一角仙人、天鼓など)
- 人情物(鉢木(はちのき)、俊寛(しゅんかん)、景清など)
- 侍物(木曽、桜井、桜井駅、 小督、安宅など)
- 斬合物(夜討曽我、大仏供養、忠信など)
- 尉物(蟻通、雨月、木賊、豊干、輪蔵)
- 五番目物
- 女菩薩物(当麻、海人など)
- 貴人物(絃上、 来殿、松山天狗など)
- 猛将物(草薙、碇潜、項羽、 船弁慶など)
- 天狗物(善界、車僧 、大会、 第六天、葛城天狗など)
- 鬼物(昭君、鍾馗、 野守、雷電など)
- 竜神物(愛宕空也、春日竜神)
- 畜類物(殺生石、鵺)
- 打合物(龍虎、舎利、飛雲)
- 鬼退治物(紅葉狩、羅生門、大江山、土蜘蛛など)
- 本祝言物(石橋、猩猩、大瓶猩猩)
参考文献
- 三浦裕子著・山崎有一郎監修『初めての能・狂言』小学館、1999年
- 氷川まりこ著・梅若六郎監修『能の新世紀』小学館、2002年
- 『能に学ぶ身体技法』安田登 ベースボール・マガジン社 ISBN 4-583-03865-8
- 『宴の身体 バサラから世阿弥へ』松岡心平 岩波書店 ISBN 4-00-600129-0 C0191
脚注
- ^ 国指定文化財等データベース - 重要無形文化財 能楽
- ^ 観世銕之丞『ようこそ能の世界へ』暮しの手帖社、2000年
- ^ 梅若猶彦『能楽への招待』岩波書店、2003年
- ^ 観世銕之丞前掲書
- ^ 梅若前掲書、153-164ページ
- ^ 同上
- ^ 梅若前掲書、第4章
- ^ 舞と型
- ^ 観世銕之亟『ようこそ能の世界へ』暮しの手帖社、2000年、37ページ
- ^ 井上由理子『能にアクセス』淡交社、2003年
- ^ 小鼓が「ポン(ポ)」であれば大鼓は「カン」とした音調。
- ^ IPA「教育用画像素材集サイト」[1]
- ^ 氷川まりこ・梅若六郎『能の新世紀』小学館、2003年
- ^ 観世前掲書
- ^ 子供の役もしくは非常に高貴な人物を象徴的に表現するために子供が演じることになっている役
- ^ 適齢期にある三役の子供をシテ方が指導して使うこともある
- ^ 舞台上に待機し、舞台の進行を手助けする役目の人物。小道具や作り物の世話をする他、演じ手が何らかの理由で舞台を続けられなくなった場合には途中から代役を務めることもある。
- ^ 現在で言うところの「能楽」は、1880年以前は猿楽と呼ばれた。詳細は能楽参照。
- ^ 観世左吉流ともいう
- ^ 氷川まりこ・梅若六郎『能の新世紀』小学館、2002年
- ^ 金剛流・喜多流では伯母捨
- ^ 喜多流では湯谷
関連項目
外部リンク
- 社団法人 能楽協会
- 能の誘い
- 鎌倉能舞台
- 日本全国能楽堂・能舞台案内
- 能とは何か 青空文庫にある夢野久作の評論
- True chilD(狂言好きの茶鈴のページ)
- 能面 長澤重春能面集
- the能ドットコム (演目・用語・面などの解説。公演情報)
- 謡蹟めぐり 初心者の方のためのガイド
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