ウル第三王朝
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ウル第三王朝(ウルだい3おうちょう、3rd dynasty of Ur)は、紀元前22世紀から紀元前21世紀にかけてメソポタミアを支配した王朝。
ウルの軍事司令官であったウル・ナンムが自立して、前22世紀末にウル第三王朝が建てられた。建国者のウル・ナンムは、神殿の建築や運河の建設などを行うとともに、ウル・ナンム法典と称される法典を定めた。この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるハンムラビ法典に影響を与えたと考えられる。第2代シュルギの時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。
しかし、まもなくこの王朝はアムル人やエラム人の侵入に苦慮することとなった。シュルギ王やのちのシュ・シン王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けたが、ついにシュ・シンの息子であるイビ・シン王の時代にウルは陥落し、エラム人によって王ははるか東方へ連行された。これをもってウル第三王朝は滅亡した。
歴代君主
- ウル・ナンム(前2113頃 - 前2096頃)
- シュルギ(前2095頃 - 前2048頃)
- アマル・シン(前2047頃 - 前2038頃)
- シュ・シン(前2037頃 - 前2030頃)
- イビ・シン(前2029頃 - 前2006頃)